
♠ Posted by Atsushi Shimizu2014.7.28
名店。人気の店、有名な店、行列が出来る店、そして歴史がある店。
名店の形はさまざまです。
この「名店手帖」ではそんな名店も、それとは違った形の名店も、
今後名店になりそうな予感のする魅力的な名店(未来の名店)もたくさんご紹介していきます。
第11回目の今回は、東京・高円寺にある絵本の古本屋さん、
「えほんやるすばんばんするかいしゃ」をご紹介します。
今年で、11周年を迎えた「えほんやるすばんばんするかいしゃ」さん。
今回は、2003年の立ち上げからこれまでに至る経緯、絵本のセレクトについて、
独自出版について…などなど。様々なお話しを伺ってきました。
古本屋でも絵本屋でもないお店
「えほんやるすばんばんするかいしゃ」というお店をご存知でしょうか。
ちょっと覚えにくいけど、この長い名前がおもしろくて、つい覚えたくなっちゃいます。

狭い路地にある赤い引き戸をくぐって、木造の細い階段を、ぎしぎし上がっていくと…

絵本が壁一面にならんでいる小部屋に出くわします。
なんだか、お店の入り方にもわくわくさせられます。
今回、店主の荒木さんにとても興味深いお話を聞くことができました。
お話の中で、もっとも印象に残ったのはこの一言。
「ここは古本屋でも絵本屋でもないんですよ。」
つまり、”絵本がただそこにあるお店” だというのです。
それは、プロとしてではなく、ご自身を「素人の一人」であると、
位置づけているための考えのようです。
「えほんやるすばんばんするかいしゃ」がオープンしたのは2003年。
2007年に半年ほど店じまいをしたという経緯はありながらも、
これまで11年もお店を続けてこられています。
“続ける”ということは、本当に大変なこと。
大きな組織に属することなく、自分ひとりの意志で生き方を決めて、
その生き方を続けるという意味では、アーティストや作家も同じなのだと思います。
これまでどのようにお店を続けてきたのか、
どのようにお店の個性が育まれてきたのか。
その秘密をさぐっていきたい。
これから個人でお店を開きたい人はもちろん、わたしたちの生き方にとっても参考にもなるかもしれない、
という気持ちで、ぜひ読んでみてください。
*
1.本に役割りを与えること
「えほんやるすばんばんするかいしゃ」には、なぜ素敵な絵本がたくさんあるの?
という素朴な疑問から、店主の荒木さんにいろいろとお話を伺いました。

とても気さくなお人柄の店主荒木さん
編集部:
“えほんやるすばんばんするかいしゃ”について周りに聞くと、
「あそこっていいよね」ってみんな口を揃えて言うんですよね。
荒木さん:
ああ、ありがとうございます。
編集部:
それってなんでだろうと思って、理由を考えたんですけど、
ひとつは単純に、知らない本(海外の絵本)が多いということだと思ったんです。
知らない本が多いにも関わらず、ここにくるとヒットする確率が高い。
その新鮮な出会いがいい思い出として残って、また来ようと思うんですけど、
それってなにかセレクトの基準とかがあるんですか?
荒木さん:
基準…。
編集部:
個人的な趣味だけで選んでいるわけでもないような感じがあると思うのですが、
「いい本がたくさんある」お店の見え方って、
どうやって作っているんだろうと気になるところなのですが…
荒木さん:
それは逆に知りたいなというところなんだけど(笑)。
本屋の力は特になにもなくて、結局いいのは本じゃないですか。
作家がいいだけで、うちはそんなに関係ない…っつたらあれだけど(笑)。
編集部:
あ、じゃあ作家でセレクトして仕入れてる?
荒木さん:
仕入れっていうことで言えば、お客さんからの買い取りが多いんで、
本来、(ジャンルの)幅はすごく広いんですよ。
ただお店に並べる時に、ある程度強弱をつけるというか。
たとえば、面出しされているところが大概うちのイメージに
繋がっていくと思うんですけど…。
でも実際は本棚にささっている本とかもたくさんあって、
で、もっと言えば下にある500円までのコーナーってのがあるんだけど、
それぞれみんな本の役割りが違っていて。

木箱にぎっしりと並べれられた絵本
荒木さん:
だから、扱っている本に関しては、ぼくは選んでいるというより、
幅広い種類の本たちに、強弱をつけてるだけなんです。
それらをどう見せるかによって、印象は全然違ってくる。
100円の本をずらーっと並べればそういうイメージになるだろうし、
「あそこは100円のばっかりがある店だ」っていう印象になる。
編集部:
ええ、たしかに。
荒木さん:
でもそうしないで、うちでは下の箱にいれるという、
カタマリとしての役割りをもたせていて。
だから同じ本たちを使って違う人にさせればまた違う印象になるだろうし。
編集部:
それはすごくおもしろいですね。
荒木さん:
実際の物量はそこまで変わらなくとも、
役割りの与えかたによって大分お店の印象ってのは変わっていく。
見せるだけじゃなくて、値段の付け方もそうなんですけど、
この本に100円をつけるってのは、この本がキライだからとかじゃなくて
この本には100円の役割りを果たして欲しいっていう。
だから5,000円の本が偉いってわけじゃなくて。
ま、もちろん盗まれた時に5,000円の本の方がショックがありますけど(笑)。
編集部:
ところで、お客さんからの買い取りって、
まとまった状態でくるんですか?
荒木さん:
そうですね。けっこうまとまって持ってきますね、だいたい。
このロシア展のも買い取りです。

「ロシアの絵本展」の様子(2014年6月~7月中旬まで開催)
荒木さん:
ロシアに関して言えば、たとえば、
ロシアの本が、普通の古本屋さんで買い取りされたとして、
でも原書って、普通は読めないし分からないし、
ロシアの作家をよく知っていないと訳が分からないから、
どうしようもないんですよね。
編集部:
確かに、原書で絵は楽しめても、内容は分からないですよね…。
荒木さん:
だから数百円で売っちゃおうという気持ちで安く買い取って、
だーって表に出すっていう本屋もあると思います。
それは「うちで売ったってそこまで売れないだろうから」というその本屋のやり方で。
でも逆に、そこにスポットを当ててみようと思えば、
こういうふうにイベントにもなるし。
やっぱり役割りの使いようだと思います。
2.児童文学ではない文脈で
編集部:
どういうふうに見せるかで、ご自身のスタンスというか、
本屋のブランディングを行なっている、という印象を受けました。
僕(西村)は個人的に、えほんやるすばんさんでは、
本を「絵で買う」ってことが多いんです。
だから、やっぱりそういうふうに演出されているなと思って。
お店の作りとしても、「読む」ということよりも、
「イメージで手にとる」というゾーンの方が多いという気がしているんですが、
ビジュアルで本を置いていくという考えがあるんですか?
荒木さん:
うーん。極力自分の意志というのは消したいんですよ。
人がそうとってくださるのならそれでいいと思っていて。
押し付けるつもりはまったくないんだけど、
「どういう見方でも良い」という環境を作りたいなと。
編集部:
なるほど。
荒木さん:
で、それをやるのには、意志をなんも持たないってのがいいのかと
思ったんだけど、やっぱりある程度の意志が必要になってくるなと最近気がついてきて。
たとえば、ぼくが画家で分けている時点で、画家寄りなんですよね。
やっぱり、若干。


作家別に陳列された絵本
荒木さん:
やっぱり意志がないって言ったら嘘になるし、
どっちかっていうと、絵の方で分類してるって部分があるから
ぼくにそういう意志があるのかなと思うんだけど、
でも本当をいえば真っ平らにしたい。
ただ分類する以上は、作家という分類の仕方をやめたら、ぼくが探しにくくて。
絵本は文章の作家と絵描きでふたりで作ってるものが多いので、
どっちかを選ばなくてはいけなくて、
そうするとぼくは、絵をとろうと。
編集部:
それは見せ方に何か意図があって?
荒木さん:
やっぱり本って言うのはずーっと長い歴史のなかで、
文学(よみもの)としての見え方が強いというか、
絵本においても、どうしても児童文学に組み込まれてしまう。
だからよみものとしての児童文学とは、切り離した部分で、
絵本を見れないもんかな、という。
編集部:
ああ、そこはおもしろいところですね。
荒木さん:
かといって、別にビジュアルだけでみて欲しいというわけじゃなくて、
「絵本」として独立したものとして見れないかというのが一番にあります。
編集部:
それは本の質感とか、モノとしてということも含めて?
荒木さん:
そうそう。
ビジュアルって言っちゃうと、絵画的とか美術とかの方によりがちだけど、
そういう意味でもなくて、もっと印刷物として独立したもの。
なんというか、たとえば画集っていうと、原画があった上で、
それをもっと身近に存在させるためのものだから、
どうしても原画の方が立場的に上にある。
でもそういう関係性をなくして、
絵本をひとつの「独立したもの」として完結させたいわけです。